北海道生活が終わって

目次

北海道生活について

苫小牧-大洗 実家へ

どうせ地元に向かうならば旅行をしていこうと決めたはいいものの興味がわかず特に調べなかった。
そして旅行中はそこまで気分が乗るものではなかった。
なぜこんなにも観光旅行が面白くなかったのか。
北海道ロスかと思った。
でも違った。
あの時のように世界は広いな!と感じなくなった。
探している自分がいなくなった。
文化圏ごとの街並みや人の違いがあるを感じるのは好きだしおもしろいがあの時のような刺激はない。
あぁこんな感じね。へぇ~という感じ。
スナップをしていて楽しいという感じであの時の刺激はなかった。
写真を撮って北海道にはない雑多な感じを撮るのは楽しかったがそれだけだった。
観光旅行は一人でやることじゃなくて誰かと一緒の方が楽しいと感じた。
今やりたいことは旅行をして美味しいご飯を食べる事でも景色を見る事でもないんだと感じた。
土地に住んで文化や人に触れて成長したいという気持ちだった。
ただ目標を達成したので別にあちこち行く必要はなくどこかに拠点を作りたかった。
でも理想の生活は北海道生活のような会社員でも達成できることがわかった。
僕の根本に幸せになることがある。
僕は表現者になりたいがそれは命を削ってまでやることではなく会社員として生きながら表現を続けるという手もアリだと感じていた。
渦巻いていた。
北海道を拠点にしてひみなり写真館を仕事にする。
北海道に戻ってホテルマン生活を継続するのもアリ。
リゾバを継続してやりたいことをやりながら色んな土地で文化や人、景色を見ながら成長する。
どの選択もナニカが違うと感じていた。
色々なところに行くのも必要だと感じていたし行きたい気持ちも確かにあった。
それもただの旅行ではなくて意味を持って仕事として行きたかった。
また仕事に成りえると考えた。
でもひみなり写真館ですと言って取材をしに行くというのは職業カメラマンすぎる。
色んな営業方法や仕事の実現方法を考えたがメディアのやり方だった。
そもそもすぐに一本で食べていけないし生活の為にリゾバか現地でのバイトが必至だった。
では、リゾバを継続するか?
北海道生活の再現でしかなかったし追っかけるだけで意味を見出せなかった。
これからどうするのか、どうしていくのか全く先が見えなかった。


茨城県に到着したときの感情としては「着いてしまった。夢が醒めたみたい」くらいしかなかった。
具体的なものは特に浮かばなかった。
いや「着いた~!嫌やなぁ!終わりたくなかったなぁ!」くらいは思っていた。
ただ、いつまでも浸るわけにはいかないのでとにかく次は何をするかを考えていた。
北海道を拠点にしてやりたいことを仕事にする。
北海道に戻ってホテルマン生活を継続するのもアリ。
リゾバを継続してやりたいことをやりながら色んな土地で文化や人、景色を見ながら成長する。
どの選択もナニカが違うと感じていた。
北海道に行くにあたって立てた目標と同じでは北海道生活を辿るだけで何も意味がないと感じた。
でも方針としてはやはり今までと違う仕事や生活をすること。
なんとなくこれからの方針は決まったので一週間だけの旅行を楽しもうと考えた。


またこのタイミングで僕はある人とlineが続いた。
最後の日を共にした人。
僕にとってはあれで終わりにしようとした。でも明確な別れを告げられなかった。
同時に「あぁ、ちゃんと終わらせられなかったんだ」と感じた。
特別過ぎたんだって。
でも一人になりたくなかったからlineが続いた。続いてしまった。

そうして毎日lineをしながら旅行を楽しんだ。
なんだかんだ楽しかった。寂しかったけど繋がれたしやっぱり色んな所にあてもなくふらつくのは好きだ。

その間に、ふと一人で離れてみるとあんなに感じた居場所も感じなくなった。
あっという間に弾き出された。
以前、

「本当の居場所が欲しい」

という感覚で生きていた。
でも北海道を離れた瞬間、
あれだけ強かった繋がりが薄れていく。
絶望した。
こんなもんだったのかって。
離れたら一瞬で一人じゃないかって。
人はその時の役割がないと繋がれないんだと感じた。
でもあの時とは違って心の中にみんながいた。
温かい気持ちがあった。


実家に戻ってからも一か月毎日lineをした。
しかしあまりに恋愛色が強くなったので一か月lineをやめてみようということになった。

北海道生活の本当の終わり

一か月の期間を作ってたくさん考えた。

答えがでてあと答え合わせをするだけだった。
答え合わせをしたときにあの時の時間と僕にさようならをした。
もう、この時には僕にとってこの好きな人と生きていくだけの話でなく、これから人と一緒に生きていくのか?という問いだった。
無理だと感じた。誰かと一緒に生きられないと思った。
僕が理想とする世界を描くまでは無理だと感じた。
これが決定打だった。
生きるか死ぬかの狭間、その無限の選択が今の僕には心地いい。
今後も広がる人生を堪能したくなった。
どこまでも一人で駆け上がりたくなった。
人と生きていく未来はその先、描いた先にある。

あの人は北海道生活の象徴だった。
好きという気持ちに嘘はない。一緒にいたい気持ちもあった。でも恋愛感情というとなんか違うような。
僕にとって大切な人だ。
それは僕と仲良くしてくれたからということではなく一人の女性としてきちんと愛していた。
それはこれからも。
ただ一緒に未来は作れないと感じていた。
あの時の空気感のまま再会できたかというと正直何か違うと感じていた。
僕が他の人を好きになろうがあの人が相手を見つけても特別な空気感は残る。
それがいくら友人のような関係であってもだ。
それは不誠実だ。
僕の当初の感情はこのlineは違うよ!だった。
恋愛として進むのはなにかが違うと感じていた。
曖昧なままだったからダメだったんだって思った。
同時に最終日にちゃんと終われなかったんだ。これは終わらせなければならないと思った。
あの関係を続けられるのはリゾバの僕で別の関係ならできなかったと当時からわかっていた。
ただ終わらせられなかった。
未来につながらない関係というだけで好きという感情はあった。
簡単に表現できないような感情。
それはお互いそうだと思う。
でも終わるのは嫌だった。
あの人に別の男性ができてどこかほかを向いて僕と話せないなんてことは嫌だった。
でも別に僕と一緒に居てほしいということではなかった。
あの人には歳が近くてこれからの人生、苦楽を共にする人が必要だと感じていたからだ。
僕はそれはできないし貴重な友人枠でいたかった。コーヒー友達みたいな。
だからそこに持ち込みたかったが、あっさりそれになりましょうなんてことにはなれないくらいに気持ちが乗っていたのは事実だ。
その終わるの中には北海道生活の関係が薄れる事も含まれていた。
だからズルズルした。
だからlineが続いた。
そのうえで関係が終わったわけだが、僕は失恋をしたと感じていない。
これは恋愛が成就しなかったからでもなく、お互い現実問題難しかったからというわけでもなく、はじめからそういう感情じゃなかったというわけでもなく。
今も大切な存在だからだ。これからも。
当時から見返りは求めてなかった。
また同時に、僕の結論として人と一緒に生きられないということに辿り着いたからなんだ。

またいつか旅が終わってあんなことがあってこんなことがあってと話がしたかった。
インスタで投稿を見てちょこっと連絡をするのはいいと思うがlineで話すのは違うと思っていた。
もしかしたら惜しい人を失ったのかもしれない。
僕の痛みも弱さも知っている人。応援してくれる人。
また友人になれたかもしれない人。
帰って話をする相手を失った。
でもあのままでは前に進めなかった。
僕は気持ちが乗っていたから。
もし一緒になれる未来があるのならばそのまま進めばいいと思うが無理という結論ならば別れの選択をとって良かった。
もし、再会する時はあの時の続きではなく別れた後の別の関係だ。
それを望んていたがしくじった。
でも、別れるという選択をとって良かったと思う。
中途半端は許されない。
いつまでも僕を見ているのでは困るから。
僕は老後を見れない。
僕がいなくなっても幸せでいてほしいからプレゼントも渡したし息をつける場所を紹介した。
それを覚えているかも利用するかもわからない。
でもそれでいい。
またこの先、会えるかもわからない。
あの時間が終わった時点で継続できないくらい特別になってしまった。
北海道生活とその後一か月だけでも繋がれて救われた。
美化しているわけでもない。
ではなぜ言ったのか?執着したのか?
寂しかったんだ。
そのうえで自らの愚かな行動で失った。
人生の出会いはこういうものだ。
ただ、あの時の関係という意味では終わって良かったと思う。
次、もし会う時は友人のような関係になりたかったから。


僕が執着していたのはあの時間、あの僕だった。
もっといえばあの頃の自分。
北海道にいた自分。
未来が未確定だった自分。
誰かと深くつながった自分。
誰かに聞いてほしかった自分。
人生を探していた自分。
でも離れてみるともうあの時の僕にはなれない。
あの日、北海道から出た時点で既にみんなの前に同じ制服を着て会えない。
あの日の続きも送れない。
もうあの時の視点でモノを見れない。
あんなに感じた居場所という感覚も感じない。
居場所は役割でできるものなんだ。

だから苦しみも終わった。
この別れが北海道生活の本当の終わりだった。
いやこの結論に至ったことで終わりを告げた。
発表したこと、別れはきっかけになっただけだった。





ここまで書いたが6月9日の僕にはこれ以降書けない。
気持ちが次に行ってしまっている。
二週間くらい書こうとしているが手が動かない。
頭の中で物事の時系列も、思考のグラデーションもしっかりあるのにまとまらない。
二週間前くらいには「北海道で暮らした日々」を読みながら皆の顔が彫刻のようでも思い出すことができたが今は輪郭さえぼんやりしている。
写真フォルダを見返して誰かとのツーショットがあっても自分自身さえ現実味がわかない。
本当にあの時間が嘘のように感じる。
実際にあったのはたしかなのに10年も20年も前のことのように感じる。
この感覚はなんだかわからない。
一人になった。
でも昔みたいに孤独に苦しんだり辛くなったりしない。
心が温かい。
みんながいる。
きっとみんなに救われたからなんだろう。

また、あの居場所というモノの限界にも気づいた。
僕はあの時のリゾバのぼくでなければ北海道の元職場の人たちと繋がれないんだと。
そこでの生活中は居場所を掴むことはできるが離れたらもう帰る場所でも居場所でもない。
また、これから一人で生きていく覚悟ができたんだと思う。
僕は高校生の時から友人が欲しいわけでも恋人がほしいわけでもない。
昔はわかってほしい気持ちや気づいてほしい気持ちがあった。
誰かと人生を共に歩みたい気持ちもあった。
でも今は不思議なくらいない。
交差することはあっても共に歩むことはないと感じる。
例えるなら、顔馴染の店員に会いに行くあの感覚。
職場や仕事仲間は心地いいと思うし欲しいと思うが友人や恋人は別にいらない。
また、近しい人と言えば例えば僕が旅をして帰ってくるような場所、人があればいいと思うが個人的な願望が驚くほどない。
むしろ清々しい。
結婚相手はその関係の中でできるんだろうなぁと感じる。
きっと僕にはこれからも大切な人はできる。
その究極系が結婚相手ということなんだろう。それでも一緒にいたい、生きたいという人。
なにかの巡り合わせでまたみんなに会うことがあればいいと思うが個人的に会いたいという気分が全くない。
病んでいるとか考えすぎて方向がおかしくなったとかではなく、状況がこの結論に至ったという感覚。
不思議な感覚。


またこの感覚にはこれからの生き方が明確になったからというのもあるんだと思う。
今までは自分が生きられるのかさえわからなかった。
自分がどうやって世界に存在したらいいのかわからなかった。
死にたいわけではなかったが死という選択肢も常に隣にあった。
でも今は何を仕事にしてどう生きるかがしっかり軸にあるからだと思う。
探していた僕と見つけてほしい僕がいなくなったから。
人との関係が自己確認だった。
他人に自分を証明してもらう必要がなくなった。
生きるのが辛いなんてこともない。この先が真っ暗闇というわけでもない。
この先に進むべき道が見えたという感じ。
なんか今の僕がすごいと思う。
今までと別人のよう。
それはきっと生き方のフェーズが変わったから。

最初、北海道で何があったかを書こうとしていた。
でも書いているうちに本当に書きたかったのは

なぜ北海道が終わったのか

だった。
さらにその奥には

なぜ自分は変わったのか

があった。
そして最後には

これからどう生きるのか

になった。
だから後半で手が動かなくなったのも自然なんだ。
北海道の出来事は思い出せる。
時系列もある。
でももう関心がそこにない
自身が書いている。

6月9日の僕にはこれ以降書けない
気持ちが次に行ってしまっている

これが答えなんだと思う。
北海道の続きを書けないんじゃない。
もう北海道の中に住んでいない。

今はどんな自分で世界に在るのか明確にある。
この出会いはきっと未来に接続されない。
その時の役割でないときっと繋がれないから。
僕自身、無理に接続しようと考えていない。
これから一人で生きていく。
僕がこれから、ひみなり写真館として出会う人間が未来に繋がっていくんだと思う。
これからの僕ではあの時の僕のようにみんなに会えない。
北海道で僕が僕として生きられるかが課題だったが
これからの旅は僕はひみなり写真館としての役割を持っていく。
だから今までと違う。
北海道が終わったんじゃない。

リゾバの僕が終わった。

あの人との関係が終わったんじゃない。

その関係を成立させていた役割が終わった。

今の僕は明確なビジョンがある。
これから数年は旅をしながらひみなり写真館を行う。半分土台作りだ。
そうしてひみなり写真館として人間関係を構築していく。
状況次第では拠点を決めて本格的にひみなり写真館を始める。
自分が決めた拠点でひみなり写真館として世界に接続して観察者として世の中を見ていく。
そして自分の人生を表現する。
その先に人と生きていく未来がある。
そして僕は社会や人に当て嵌めたら自分が死ぬ。
理想を手に入れるために突き進むことが一番僕が魅力的なんだ。
地元に来て、人と一緒に写真を取りに行く機会があったが別に楽しくなかった。
だから別に写真を一緒に撮りたいわけでも旅行をしたいわけでもない。
正直、友人とも趣味や興味が合うわけではない。それくらいの距離感が僕にとっては一番心地いい。
たぶん、一生あちこちで生き続ける。
そしてこの僕の人生という旅はどこまでも走り続ける。
僕が人生を一つの物語として観測している以上、常に前に進むと思う。
誰かに合わせたりなんかしない。
僕は僕の納得のいく人生を歩む。自由に。
旅は僕を一人にしない。
旅をしている以上、何歳になっても地域の人たちは僕を迎えてくれる。
なんだか気分がすこぶるいい。なんだか笑けてくる。



僕の孤独は伝わりにくい。
目に見える問題があれば、周囲も気づきやすく、自分自身も「環境が異常なんだ」と怒りを外に向けることができる。
家族も友人も兄弟仲もいい。職場仲間もいたし普通だった。
でも頼れない。
甘えられない。
居場所がない。
それは全て過去の経験からくるものだった。
昔から親からの愛は伝わっている。
飯も寝床もクラブ活動もさせてもらった。
だが家庭でも孤独感を感じたのは本当の事なんだ。
そのはじめは中学生の時に頼ろうとしたが当たり障りのない返答だったこと。
僕が乗り込む事を望まなかったのもあるがなんの解決にもならなかった。
話すだけのことにはなんの意味もなかった。
進路、将来のこともそうだった。
自分の哲学を完全否定した。
その上でズケズケと心の中に侵入してきた。
侵入してきた相手が翌日にはケロッと楽しい話をしてくる。笑えるわけがない。
楽しいことだけを話す親なんて必要なのか?
僕に向き合おうともせずに世間の常識、普通、一般論でねじ伏せようとする大人なんて必要なのか?
話をしても意味がないなと子どもながらに感じた。
それは本で読む知識だ。人間の声が聞きたかったんだ。僕の本当の声も心も否定され、置いてきぼりにされる。
僕が好きでやっていることも興味も鼻で笑うような。
ときどき邪魔をする。
昔から僕の周りにはこういう大人が多かった。
それが普通だと思っていた。
大人というのは高尚な存在なんだと思っていた。
僕が成長するにつれて色んな事を経験して知識をつけていくごとに僕の周りにいる大人は尊敬できるような人ではなかった。
親もとても小さい存在だと思うようになった。
とても都合が良くて理不尽な存在。
居場所がないというのは喧嘩が絶えない家庭というわけではなく理解者がいないということ。
僕を受け止め、肯定してくれる人間がいなかった。

北海道にいるときにある若い奴が頗る機嫌が悪くて態度に出していた。「なにかありました!機嫌悪いです!」みたいな態度。
そのときに「なにかあったのかな?すごい機嫌悪いね。どうしたのかな?」と心配している人がいた。
無性に腹がたった。
僕はなにかあっても、辛い時でも完全に消し去ることはできなくてもちゃんと一人で立とうとしているのに。
なのにそんな心配してほしそうな態度をしている方を気に掛けるのかって。
偉いのは僕だ。
周りの影響も考慮して制御しているのに、切り替えを大切にしているのに。
なのに機嫌を振り撒いている方を心配するのかって。
なんやそれ。理不尽すぎると思った。
これは嫉妬心からくるものだ。
正確には、
頼りたい自分。
甘えたい自分。
心配されたい自分。
理解されたい自分。
気付いてほしい自分。

その感情を抑えてきた。
一人で解決してきた。
本質は「僕はあんなに甘えたかったのに、必死で我慢して一人で立ってきたのに」
という、過去に置き去りにされた「あの時の僕」の叫び。
僕は慰めることも認めることも問題を見つけることも楽しむこともなにもかも一人でやっているのにという叫び。
だから、態度で表現している人間を見ると苛立つ。


当時から常に悩んでいたわけではなかった。
満たされない感覚、ふとした瞬間に辛くなる。
防衛としての「自己完結システム」
最大の武器であり、同時に最大の傷。
これを何とかする必要があった。
孤独の根っこは

「一人だったこと」ではなく、
「一人で処理する癖が身についたこと」

にある。
なぜなら昔、頼っても期待した反応が返ってこなかったから。
だから脳が学習している。
どうせ理解されない。
説明するのも面倒だ。
期待なんかするな。
どうせ自分で処理した方が早い。
そして問題解決の為に感情や気持ちを殺してきた。
すると周囲からは、

悩みのない人

しっかりした人

自立した人

一人でも平気な人に見える。
でも僕は知らず知らずのうちに疲れている。
だからふとした瞬間に空っぽになる。
なぜなら本来誰かと持つはずの荷物をずっと一人で持っているから。
そして僕が言った居場所がない。という言葉は物理的な話じゃない。
家に帰れば部屋はある。
ご飯もある。
会話もある。

自分の本当の感情を置ける場所がない。

これが居場所がないという感覚なんだ。
他人がいる中での孤独。
心が満たされないまま、「自分が世界に存在できる理由」を探し続けた。
別に昔から一人が嫌いなわけではない。
むしろ余計な人間関係は避けたいくらいだ。
だから高校生の時に一人になろうとした。
当時は少し無理をした。
だから一人で処理する癖はより一層、完璧に磨き上げられた。

辛いことがあっても、悩んでも、決して外に出さない。自分で問いを立て、自分で内省し、自分で解決する。
本来なら誰かと分かち合うべき感情を、すべて一人で背負い込むという覚悟。
ぶっ壊れてしまいそうになった。
でも未来につながると信じてやり続けた。
修行の期間でもあった。

僕は早くに友人も恋人、誰かと一緒にいる事のステージから降りた。
また、エンタメや目先の楽しさに逃げたり、現実逃避もしなかった。
だから仕事もやめた。
僕は会社員になってからおかしくなった。
別に仕事がやりたくないわけでも楽しくなかったわけでもない。
むしろ、大人同士の距離感は心地よかった。
それでもこの生き方は違うと思っていた。
僕の理想のためには自分で仕事をする。縛られない生活スタイルを得る必要があった。
そこには昔、人は幸せを与えてくれないと学んだから。
大人になってもそうなんだって思った。

仕事を辞めたときも間違っているか?と思ったりした。
理想の自分と仕事、生活を追い求める事。会社員として生きる事。
もういいんじゃないか?って思ったりした。
でも社会に渦巻かれ、生活スタイルが変わって有耶無耶になるのは嫌だった。
歳をとっていけば価値観も変わっていくだろう。
でもそれは先延ばしにしただけ、問題は解決していないままわかった気でいるだけ。
その時真剣に悩んだはずなのになかったかのように扱うなんてできなかった。
もし自分に子供ができて同じ境遇になった時に何も解決策が見つからない。
なんとしても手に入れたかった。
自己完結システムがあったから前に進むことができた。
同時にいつまで一人でやらなければならないんだ!という嘆きにもなった。
それは「最大の武器」になったと同時に、大人になっても他人に甘えられないという「最大の傷」として残った。




僕は北海道生活にいろんなものを願った。いやすべてだ。
孤独も満たされないものも、やりたいことも、生き方も本当の意味での自立も。
人生の生き直しだった。
途中、愛情障害なんじゃないかと考えたこともあるが今は否定している。
僕は愛が足らないんじゃなくて理解者がいなかった。
北海道生活で大量の承認を受けて満足している。
今までは死も含めてこれから自分はどうなっていくんだろう?という未確定の未来への想いがあった。
今はこれから自分はどうなっていくんだろう!というような理想とする未来へどう描いていくのか楽しみで仕方がない。
なんだか空っぽというと喪失感が連想されるが、不足感がない状態に感じる。

ずっと抱えていた問いや欠乏感が消えた。
ずっと抱えていた

「何かを手に入れれば完成する」

という感覚が消えた。

一人になったと同時に一人で立てるようになった。
強がりでもなんでもなく、本当に一人で立てる。
僕には理解者が現れたわけでも理想の恋愛をして埋めてくれたわけではない。
その願いは叶っていないが必要なくなった。

「理解者が見つかった」
「安心できる相手ができた」
「甘えられる人ができた」

ではなく僕はその欲求そのものが静かに消えていった。
なんだかすごく大切なものを失ったと感じている。
だから空白が残る。

たぶんあの人との関係は、僕にとって最後の「橋」だったんじゃないか。
北海道以前の自分と、北海道以後の自分を繋ぐ橋。
だから関係が終わった時、あの人を失っただけではなく、

「誰かに感情を預けたいと願って生きていた時代の自分」も一緒に終わった。


今感じている寂しさは、たぶん未練というより、あの時の自分への弔いに近いものなんだと思う
だから少し寂しさを感じる。
あ~あこうなってしまったかというような気持ち。|
僕は昔からその時大切なものを失って未来につながるナニカを手に入れてきた。
僕は過去の自分に対して喪失感を感じている。
願いが叶わなかったからもあるだろうが、願っていた人間そのものがいなくなったから。
また同時に、今までの僕がいなくなってこれからの僕になったからあの時の僕で出会った北海道の人たちの元に戻れないと感じているんだろう。
当時の人たちはいつになっても僕を迎えてくれるだろう。
でも僕はそこには戻らない。戻ってはならない。
地元に対する想いと同じであそこに戻ったら進めなくなる。
だから、会う時はひみなり写真館として生きている僕として会ってほしいしそうでありたい。
僕はたぶんこうやって生きていく。このまま。旅人として、ひみなり写真館として。
同じところには戻らない。
昔は誰かが欠けた部分を埋めてくれることを期待していた。
ただ、今は自分の足で立った状態で人と出会える。
だから以前よりむしろ深い関係を築ける可能性すらある。
今後はひみなり写真館として生きる僕と交差することになる。
その先に結婚があったとしても一般的な結婚観とは少し違うかもしれない。
人生を共有するような結婚ではなく、独立した人生同士が協力する
いわば人生のパートナー。
これが僕が昔から人生の伴侶が欲しいと言っていた部分なんだ。
今までの人生は「欠乏の物語」「誰かと生きること」が人生設計の中心近くにあった。

一緒に旅はできるのか
どんな人と生きるのか
理解者は現れるのか
家族を作るのか

足りないものを探す。

満たされない理由を探す。

生きづらさの原因を探す。

理解者を探す。

居場所を探す。

人生の中心がそこにあった。
これらが人生のテーマに組み込まれていた。
でも今はまずひみなり写真館として僕はどう生きるか?

が中心にあってその周りに人間関係がある。
順番が逆転している。
地元に戻りたくなかった理由も同じで地元が嫌いだからじゃない。

「欠乏を抱えていた自分」

がいるから。

北海道に戻れないのも同じであそこには

「救済を探していた自分」

がいるから。
それぞれの人生を持ったまま出会うということなんだ。
誰かの人生に住み着くことを前提にしていない。

交差する。

影響を受ける。

影響を与える。

そしてまた歩く。
だから不思議な感覚が残る。
今までの自分と別人だと感じている。
今回も色んな事に自分で考えて答えを出した。
でも今までのような孤独感はない。
人に肯定されるという経験を大量に積んだから。
それは北海道という環境が「過去(家族や地元の記憶)を完全に断ち切った空間」で
「リゾバスタッフ」「旅人」というまっさらな自分で、そこで「大量の承認」を受けた。
「感情を曝け出さなくても、そのままの自分で十分に愛され、認められる」という成功体験が、心を初めて満たした。
その連続があったから救われた。
みんながいたから達成できたんだ。
みんなにみんなに満たされたというのが正しいのかもしれない。
これまでごちゃごちゃ書いたが北海道生活でみんなにもらったものは「君がいてくれてよかった」「君がいなかったから大変だった」のような僕の存在への肯定。
あんなに人が不要だと思って一人を選んだのに結局ここが必要になってリゾバを始めた。
自分のことを信じて認めることはできるが誰かが自分を肯定してくれる経験が必要だった。
他の孤独や生き方、やりたいこと、自立に関しては実証実験にすぎなかった。

消えたかった自分がどこか知らない土地でそこに住んでいる人たちと親密になって必要とされること。
ただの観光ではなくその地域で生きるということ。

その初めての場所が北海道という舞台。
だから北海道生活はここまで特別なんだ。
これこそがあの時の僕が求めた最後のピース。
北海道にかけた想いだった。



夢から醒めたような感覚


フェリーに乗るときもああ終わってしまう、夢から醒めると思っていた。
現実に戻るなぁというような。
本当はもう少し一緒にいたかった。
でも正社員になるのは?形が変わっていたらどうだろうか?
正社員になることはなかったし、あの関係はリゾバの僕だからできたんだ。
それは継続が難しい。
僕は前に進まなければならなかった。
どうしてもあの時に理想とした幸せを手に入れる必要があった。
あの人は「幸せが永遠じゃないことも知ってしまっているから」
と言っていた。
そんなことはとうの昔に知っている。
だから前に進まなければならない。
停滞はゆるやかな退化。
きっと単純な別れ以外に当時の役割、あの時間からのお別れを感じていたんだろう。
北海道で生きた僕との別れを感じたんだ。
それ以上に今までの自分にさようならを感じたんだ。

リゾートバイトとして働く人。

旅人。

北海道を見て回る人。

新しい人と出会う人。

そして何より、

「自分の人生を探している人」

だった。

その役割が終わった。
また一人の戦いが始まる事の感覚。

だから不思議な感覚に襲われた。
北海道に行く前の僕が作った目標を完遂した素敵な人間。
もっと言えば中学生の僕が救われたということ。
他人に自分を肯定してもらう必要がない。
別人のように感じるというのは今までの僕にさようならをしてこれからの僕になったからということなんだろう。
もう遊びは終わりだということ。
仕事をしながらあちこち旅をする。その地域のディープを知る。
いろんな景色を見る。有限な時間の中、北海道中を回って色んなものを見て食べた。その時間からのお別れもあった。
人生の探索期間の終了報告。
僕は北海道で本当の意味で大人になった。
もう子供じゃないんだ。
自分の人生を自分で引き受ける覚悟ができた。

誰かに正解を求めるのではなく、

誰かの人生を生きるのでもなく、

社会の期待に合わせるのでもなく、

自分で決めて、自分で責任を持って進む。

その覚悟。
その結論に辿り着いたのが一人だったからではなく、最後の最後で、みんながいたからに戻ってくる。

北海道で出会った人たち。

助けてくれた人たち。

応援してくれた人たち。

大切だと思った人。

別れた人。

その全部があったから、
僕は一人で立てるようになった。
だからこの締めとしては、

僕はまた一人になった。

よりも、

僕はもう一人で立てるようになった。

の方が近いかもしれない。

北海道で手に入れたのは思い出ではなく、
「これから自分の人生を生きていく覚悟」だ。
もう探している感じがない。

もちろん迷うことはこれからもあるだろうし、計画通りにいかないこともある。
でも、

自分はこう生きる

という軸ができている。
それが大きい。

今思えばあの時は生き方がわからなかったんだと思う。

何のために生まれ
何のために生きるのか
何を成し遂げるのか
どう生きたいのか
自分の人生とは何なのか
自分は何者なのか
このまま何となく生きて終わるのか。
僕はまだ何もしていないんじゃないか。
そこに過去の事や現実問題、自分という人間が深く結びついた。

これらは全部、全部同じ問いなんだ。

「自分はどこに立てばいいんだ?」

という中学生から続く問いが、ようやく役目を終えた。
北海道で、僕は立ち位置を見つけた。

ひみなり写真館。

これが重要なのは職業だからじゃない。
役割だからでもない。

世界との接続方法だから。

つまり僕はこういう立場で世界を見る。
僕はこういう形で人と関わる。
僕はこういう形で生きる。
という宣言。

24歳になってようやく。
答えの出ない問いを抱えながら、ただ前へ進んできた。
やっとここに立てたと感じる。
随分時間がかかってしまった。
本当に清々しい気分だ。
夢のようだったというより本当に夢だったのかもしれないと感じる。
それくらい素敵な時間だったしあの時の僕と今の僕は別人に感じる。
お別れをしてから3ヶ月しか経ってないのに6月の僕にとってはもう遠い過去の話。
もうみんなの顔も靄がかかって輪郭さえぼんやりしている。
終わったのではなく始まったんだ。
僕はまた一人になった。
今回も一人で考えて答えを出した。
これからも一人で生きていく。
でも孤独感は感じない。
みんなに愛された記憶を胸に宿した上で、僕はもう一人で立てる。
みんながいなかったら僕は変われなかったから。
一人で考え続けて解決策を出した日々と違ってみんなが僕を救ってくれたからだと思う。

僕は昔から人生はどうせ一人だと思っている。
これは寂しい話ではなくて自分の人生は自分しか生きられないからだ。
誰にも託せない、押し付けることも、忘れることも、消すことも、美化することも何も出来ない。
自分のことは自分が引き受けなければならない。
居場所は探すものじゃない。
自分が歩く道そのものが居場所になっていく。
だから未来が見える。
成功するかどうかは別問題。
でも方向が決まった。
だから旅行がつまらなかった。
旅が終わったわけではない。
探索が終わったから。
生き方がわからない少年ではなくなった。
だから同じ刺激を求めても返ってこない。

そして今、ようやく10年先の未来が見えている。

自分が決めた拠点で、ひみなり写真館として世界に接続する。

観察者として人や街や時間を見つめる。

自分の人生を表現していく。

そして、その先に僕が人と生きていく未来がある。

だから未来が見える。

北海道で得たものは景色ではなかった。

人だった。

別れだった。

そして、その別れの先に見えた自分自身だった。

あの時の僕はもう終わった。

探索が終わったから。

生き方がわからない少年ではなくなった。

みんなの顔も少しずつ記憶の奥へ沈んでいく。

けれど、あの時間があったから今の自分がいる。

そう信じて何度も歯を食いしばって前へ進んできた。

人生は一本の線で繋がっている。

今書こうとしているのは続編じゃない。

次の章だ。

「北海道で暮らした日々」の終わりではなく、

「ひみなり写真館として生きる日々」の始まり。

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