北海道で暮らした日々

目次

北海道生活について

北海道に到着してから

2024年12月1日に出発して2日に北海道に到着した。
そこには人がいた。
思ったより寒くなくて雪は降っていないどころか積もってもいなかった。
拍子抜けだった。
道が広くて思ったより日本って感じだったけど雪国らしい街並みだと思ったのを覚えている。
戻ろうだなんて考えなかった。そもそも戻る距離でもないし。
新生活にはわくわくしていた。
どんな人がいて、どんな仕事があるんだろう。
どんな生活や景色があるんだろう。
どんな自分になるんだろう。
同時に心細かった。
高3の時に一人遊びが増えてから何をするにも一人が多かったが、なにも知らない土地で地続きでない土地というのは解放感と心細い気持ちが同居していた。
同時に一人でやってきたという自負はありながらも地元、庭のような存在に助けられていたんだと思った。
話すこともなく、頼れる存在でなかった親や兄弟、大人たちでもその存在自体がちゃんと頼りになっていたんだと思った。
ちゃんとやっていけるか、生きていけるか不安だった。

初日は車中泊をした。
満喫でシャワーを浴び、きちんとした服装に着替えてから赴任先に挨拶に行った。
今まですべて派遣会社を通したチャットと電話のやり取りしかなかったから「そんなの聞いてませんよ?」なんて言われたらどうしようかとか考えたりした。
どんな化け物が出てくるんだろうと思ったら普通の人だった。
普通に挨拶して説明があって制服の貸与と寮の説明があって終わりだった。
あまりにあっさりしすぎて翌日から働くという実感が持てなかった。

初日は昼から出勤だった。
従業員食堂で昼ご飯を食べることもできたがペースを守るためにコンビニでご飯を済ませた。
ブレザータイプの制服を着て「ダセッ!」とはしゃぎながらもここから始まるんだと興奮した。
怖かった。でもやってやるしかないと思った。
フロントバックで働く人たちに挨拶をしてからどうしたらいいかわからなかった。
未経験だしチャックアウトが終わっているかもわからない状態だから‘’表‘’に出ていいのかさえわからなかった。
そうしたら表から人が入ってくるので咄嗟に挨拶をした。女性二人。
「あっ、新しい子?よろしくお願いします。」
「初日なんだから5分でも早く来て挨拶しないと」
このタイプがいる職場かぁと思った。
でもそもそもチャックアウトの時間を調べておけばよかったこと、言われても文句は言えないことだしなとも思った。
すぐに準備品と未経験なのでマニュアルを渡してもらってすぐには案内などはしないことも伝えられた。
さっそくなにをやるのか教えてもらった。
あっさりしていた。というか丁寧に教えてくれることに困惑していた。
失敗は許されないと思ったから必死にメモと想定できる事を質問した。
雑談もした。
ホテルはもっと厳格だと思っていたからいいの?なんて思ったりした。
「だんだん覚えたらいいからね。難しいと思ったら言ってね。止まるから」
そんなぬるいことを言っていいのかと思った。
真面目だね。とか派遣さんなのにすごいね。なんて言われたけど普通なのにここではそんな最低限のことも褒めの対象になるのかと思った。
それだけ派遣さんはいい加減な人が多いということなんだろうとも思った。

初日からしばらくは玄関前でお出迎えと挨拶、清掃を行った。
ひたすら清掃だった。
想像していたホテルマン生活ではなかったので新入社員かよって思った。
まあ未経験だし信用もされていない。たぶん派遣さんには期待もしていないだろうとも思っていた。
でもある意味少し力が抜けたしホテルの第一印象は大切だから重要な仕事だと思った。
またこの先に案内があるのなら頑張れた。
しまいには第二駐車場の車道誘導。
滑る地面と雪が降る中、外で駐車の誘導をするのだ。
「ガソスタやんけ!」って思った。ホテルマンをやりにきたのになんも変わってない!と思った。
期間満了したら他のホテルに行こうかと思ったがそれでは以前と一緒だと感じた。
ここでなんとしてでも案内ができるようになってやると思った。
もし案内ができるようになれば、第二駐車場もいける貴重な人材になれるんじゃないかって考えた。
待機中はお客様送迎車で休憩しても良いとのことで暖かい車内で休憩していた。
こんなに休憩してもいいのか?って思った。
第二駐車場の研修の際も、教育係と車両運転者が楽しそうに雑談していたり「なんじゃこの会社」って感じだった。
僕も例に倣って話してみたら快く受け入れてもらって話が弾んだ。
予約担当の方と今までなにをやっていたのか、将来は何をするのか、何が好きなのか、なにをやっているのか。
お互い色々な話をした。
評判良いよなんて言ってくれたりした。知らないところで最低限なのに評価されていることが嬉しかった。
支配人とも、これからのことや将来何がしたいのかを話したりした。
ちなみに採用理由はガソスタ店員だったから誘導ができると思ったかららしい。
ガソスタは無駄じゃなかった。

駐車場が終われば玄関前の挨拶、フロントカウンターに戻ってお客様対応、お部屋届け。
自分が「さようでございます」「○○でございます。」とか言うなんて気持ちわる!へんなの!なんて思ったりした。
一緒に働く派遣の女の子も、対応に困った時に「どうしたらいいですか?」とかなり投げやりに聞いたりしていた。
でも社員の人たちは嫌な顔ひとつせず指示や教育をしていた。
「なんじゃこの会社」って感じだった。
僕も右へ倣えでやってみたが快く答えてくれた。
ちょっと感情的になりながら対応していたりする姿もあってホテルってこんなもの?って困惑もあった。
日帰り入浴の案内をするようにもなった。
案内できるようになれば褒められた。
「いいかんじ!できるじゃん!もう教えることないね。」
「もう日帰りできるの?いいねぇ。」
大袈裟なこと言うなぁと思った。
また、わからないことがあれば何度でも教えてくれた。
同じことを聞いても教えてくれた。
ミスをしても怒られなかった。
こんなぬるくて成長ができないんじゃないかって思った。
もっと厳しい環境じゃなければいけないと思ったが今はここで自分の問題を解決しつつ継続が実を結ぶと感じた。

上司は強面だったがにっこり素晴らしい笑顔で僕と話してくれたり興味を持ってくれた。
忙しくなったりイライラしていると物音が大きくなったりしたが話しかけると何事もなかったかのようにしていた。

日本語ペラペラだが中国の人……?というような、どう見てもフロントの現場ボスっぽい方がいたり、未亡人か?シンママか?というような小綺麗で世間話が好きな人もいた。

同い年なのに管理職まで上り詰めている人もいた。
掴みにくい人だったが管理職になる理由がわかる人だった。仕事もちゃんと教えてくれた。

物静かで謎のオーラを放っている女性もいたが仕事のことを聞いたらなんでも、いつでも教えてくれた。

「いやーん!君が新しい子ー?いい子だから一緒にご飯行こうね!お菓子あげるー!」
ひげ面のオカマが現れたかと思った。
フロントメンバーと言い合いをしていたり裏表の激しい人だと思った。
コナンが好きすぎて寮の部屋はコナンまみれだった。TVで見るようなオタク部屋。
「なんじゃこいつ」だった。
でも初めて出かけてご飯食べたのもこの人だった。焼肉やカラオケ、イントロドンもした。
教科書で見た昭和新山を見つけたときは興奮した。「念願の昭和新山なんだね」と言われたとき念願ってほどでもないと思ったけど構造として‘’念願‘’だなって初めて認知した。これが念願かぁって。

一か月の中で半分は何かと理由をつけて休む派遣の先輩もいた。
これだけ聞くと尊敬はできないがわからないことも教えてくれるし率先してカバーしてくれた。よく話す人だったので楽しかった。
彼女は兵庫と札幌に二人いて謎に金持ちだった。

当別町に祖母の家を持っている派遣の人もきた。
仕事中に美味しいグルメや良い観光地を教えてくれる、おもしろい話や冗談を言う人だった。

レストランヘルプに行ったら初日から「あんまり教えられなくてごめんねー!よく動いてくれてほんと助かった!」と言われた。
僕にとっては最初にやることや案内の文言を教えてくれただけで十分だった。
あとは盗むだけだったから。

僕は「すぐる」になった。
レストランの方が僕のことを「すぐる!」と呼ぶようになった。理由はすぐるらしいから。
みんなに「すぐるさんなの?」とか「すぐるってなに!?」と話が盛り上がった。
山岡家にいくぞ!と連れてってくれるのかと思ったが僕の車で実費払いだった。
別に山岡家に興味ないし北海道に来てラーメン屋かよって腹が立った。
でも「え!?山岡家行ったの!?すごいな!○○さんが誘うなんて珍しいよ!」なんて話もあった。
みんな僕を見てるんだなって感じて嬉しかった。

休日は観光名所に行ったり神社、地元で有名なレストランに行った。
北海道に来た理由や目的などを話しても「いいね!楽しそう」のように認められた。
喫茶店でマスターや地元の人たちとたくさん話して「今、旅人っぽいな」なんて思ったりした。
胆振地方は写真やネットで見る北海道とは違ったから何をしたらいいかわからなかったし満了したら道東方面に行こうかだなんて考えた。
でもこのローカルさ、マイナーな感じが気に入ったからここにしようって決めた。
札幌雪祭りや千歳・支笏湖氷濤まつりも行った。
新しいことに挑戦したくて白鳥大橋の夜景写真を撮りに仕事終わりに向かったりした。
本物を知るために初めて珈琲焙煎所に行って珈琲豆を購入もした。
この時には珈琲の認識は少し変わっていて地元のカフェでフレンチプレスを飲んだ時にコーヒーってこんなにフルーティーで甘いのか!?と衝撃を受けた後だった。
ただ自分で淹れる珈琲はそんなものじゃなくてただの苦い汁だった。
どうにかしてアレを淹れるにはどうしたらいいか?を探求していた時期だった。

初めて行った焙煎所は調べに調べて苫小牧市の珈琲工房ハンズさん。
ここは生豆販売でたくさん種類がある生豆の中から好きなg数と焙煎度合いを選べる。これがきっかけだった。
しかもなんと200g以上購入でサービスコーヒーが飲める。
店内はキャラメルのような甘ま~い香りが漂っていた。
「なんじゃこれ!?」だった。
芳香剤かと思ったが生豆を販売している以上ありえないとは思った。
「いらっしゃいませっ」
ギロっとこっちを見るマスターが一人いて「おぉ、専門店っぽい」と思って𠮟られないか不安だったがドンと構えてやろうとした。
なにが書いてあるのかさっぱりだったが、珈琲豆の前には「香り、甘味、苦み、酸味、コク」その他に豆の特徴が書かれていてそれを見ながら甘味、コクが一番強い豆と焙煎度を選んだ。
「トミオフクダ・ムンドノーボ樹上乾燥 フルシティロースト」
このときもコーヒーは苦いものという認識だったが臆しながらも深煎りコーヒーを頼んでみた。
初めてだったのでアンケートを書いてポイントカードも貰った。
早速、焙煎を始めたので店内のカウンターに座ってその姿をじっくり観察していた。
「なににしますか」
サービスコーヒーの合図だった。
知識だけは豊富だったので目の前に貼ってあるシングルオリジンのコーヒーの名前を言ってみた。
「かしこまりました」
常にポットのお湯が沸いている状態で火加減を調節したりカップを温めるために湯を張ったり勉強になった。
電動グラインダーで一瞬で粉になった豆にお湯をかけた瞬間、ブワー!と豆が膨らんだ。
素知らぬふりをしていたが内心は「おおぉ!すげえプロっぽい!いやプロか!めっちゃ膨らんどる!」ってはしゃしいだ。
同時に自分が淹れる珈琲はこんな膨らまないしやっぱりモノが違うんだと思った。
自分が淹れる珈琲とは違いあっという間に抽出が終わった。
「え?そんな一瞬で淹れたら水っぽくない?」が正直な感想だった。
少しバカにしながらまあ色んなやり方があるしなと思って口に運んだら軽くてさわやか、なのに味があって甘い。色んな香りがした。
素知らぬふりをしていたが「なんじゃこのコーヒー!?」だった。
どうやって淹れたらあんな味になるのかさっぱりわからなかったが新しい目標ができた。
でも淹れ方を見たしここで豆も買ったからイケるなって思った。
焙煎終了まで30分くらいかかるらしいのでマスターと話してみた。
このコーヒーと自分のコーヒーの違いと店内の甘い香りの話。
静かに話しながらも確かな哲学を持ったマスターだった。
プロっぽさに拍車をかけた。
なんかドラマや映画の映像でマスターと話している情景が思い浮かんで、少し相談というか北海道に来た理由と幼少期からの昔話をしてみようと考えた。
これも挑戦、いきなりなんじゃこいつって思われるかもしれないけどやってみようと思った。
あちこち焙煎所はあったので行きづらくなったら別の店に行けばいいしなって考えた。
話は聞いてくれた。のっかってきた。寄り添ってくれた。でもいきなりなんの話?みたいな相槌というか顔はしていた。
まあそうだよな!とは思ったが説教じみたことはしてこなかった。
ちなみにこの時、どんな淹れ方をしてもあの時の感動は全くなかった。
安物コーヒーポットだったのでプロ御用達のものに変えてもだ。
残すところはプロ御用達のコーヒーミルだけだったがさすがに買ったら趣味として終わりだと感じていた。

正直最初の2か月くらいは気味が悪かった。
こんなにも人が優しくて話を聞いてくれて。ゆるくて。見てくれる。褒めてくる。
そんなの定着してほしいから言ってるんだろ?派遣だからか?若いのは褒めときゃいいとか思ってるんだろ?厳しくしてよって思った。
ミスをして迷惑をかけたこともあったが大丈夫と許してくれたし次はどうやったらいいか教えてくれた。
ミスが起きない工夫も一緒に考えてくれた。
定時になったら上がっていいいよって言われて困惑したのも覚えている。
本気で言ってそうだったし本当に帰っても特に何もなかった。
でも社交辞令とかでもなく周りを見ても普通に良くしてくれることに困惑していた。
意味が分からなかった。どんな生い立ちをしたらそんな人間になれるんだって思った。
ここにきてよかった、何かが変わるかもしれないという想いといつ化けの皮が剝がれるんだ?という疑問が残った。

後輩ができた。
同い年の派遣の子で上司が入院するからその間の人員確保だった。
このホテルで僕は先輩になった。
今までは先輩がいたが既にやめていたからいつまでも未経験で一番の後輩だなんて顔ができなくなってきた。
きちんとできるだろうか。今までの経験がモノをいうと思った。
素直でとびっきり明るかった。わざとらしいくらいの上目遣いをする子だった。
「なんじゃこいつ」と思った。
何でも頼ってきた。聞いてきて話してきた。
とびっきり明るいがこの明るさの裏には影があると思った。
間違えたことを教えても許してくれた。気にも留めてなかった。
むしろ謝ったことに驚いた表情をしていた。


3月に入った。
北海道は雪が解けてきて積もることも少なくなってきた。
花が咲いて春の到来だった。
だんだん行動範囲も広くなってきた。僕の生活圏内は苫小牧市から洞爺湖町のあたりになった。
4月の休館日は4日間。どこにいこうか?
このときにはフロントメンバーともかなり仲良くなっておりこんな写真を撮ったとか、○○でご飯食べたとか、北海道はこうなんだよとか、どこどこに行ってきた、あそこに行ってきたら?ここはおもしろいよ、北海道らしいよ、ここ行きたいとかそんな毎日を過ごしていた。

期間延長から


ここにきてホテル側から期間延長の件についてお話が合った。
それも派遣としてじゃなくて自社パートとしてどうか?という話だった。
元々、同じホテルに一年はいるという考えだったが、派遣会社との契約で一旦半年にしようということにした。
思ってもみない話だった。
もっと身内になって働くことができるからだ。
まさしく求めていた関係を提案された。
でも正直悩んだ。慣れもあった。業務も北海道生活も。
だから別にもういいかなって思ったりもした。
でもただの派遣さんじゃなくて能力や人格を買われたんだって嬉しかった。
同時に自社パートになった途端、態度が豹変するんじゃないかって疑ったりもした。
給料は上げるとは言われたが計算してもあまり変わらないどころか、場合によっては少し少なくなるくらいだった。
でもここで踏ん張ったらもっとスキルが上がると思った。
慣れてから、飽きてからが勝負だと感じた。
数日後には自社パートとして頑張らせてくださいと頭を下げた。
所謂、引き抜きだから元の派遣会社は使えない。正直に話さないでね。とのことでホテル側と約束して派遣会社に一緒に嘘をついて、大人と悪さをしている感覚で楽しかった。

いつしか僕は職場に馴染んで色んな人を迎える側になった。
4月、新入社員が入ってきた。
また同じ時期に他ホテルからヘルプできた子もきた。
たぶん社員だと思われた部分はあると思う。
でもそれが楽しくて嬉しかった。
色んな人に先輩として頼りにされ教育もたくさんした。
研修で緊張した顔でフロントにも来るようになって僕が教育や館内案内をしたりもした。
派遣にこんなのさせていいの!?なんて思ったが頼られていることが嬉しかった。期待にも応えたかった。
同時に初めての社会人なんて心細いよなって真剣に取り組んだ。
休館日一日目はフロントメンバーでご飯に行った。
赴任して数日で寮や契約上の問題で沖縄に帰るんですってカミングアウトする子もいた。
翌日には函館に行った。

この時には色んな珈琲豆焙煎所に行っており生豆ではなく焙煎後の豆を販売している店や深煎りしか売っていない焙煎所など。
その中でも北船岡珈琲焙煎所はもう一つの生豆販売の店だった。
「いらっしゃいませ~」
夫婦か?強そうな男の人と綺麗な女の人が二人でやっていて、自宅のような外観の中に綺麗な内装で瓶の中に少量の豆が詰められていた。
「豆のご購入ですか?店内でお召し上がりですか?」
豆の購入ですと言うと丁寧に注文方式、200g以上購入でマスターおまかせコーヒーを淹れると説明を受けた。
当たりだなって思った。
ここも豆の隣に特徴が書かれていて色んな果物の名前が比喩で書かれていて「まーたまたまたー」と思っていた。
この時にはYouTubeでコーヒーの味などについて知識を深めていた。でも実体験をしたことはなかった。
もう何を購入したか覚えていないがフルシティローストを注文した。
マスターおまかせコーヒーは深煎りコーヒーだったが香りが今まで嗅いだ香りではなかった。
とにかく色んな香りがして少し油膜が張っている。
深煎りコーヒーの香りとボディなのに苦くない、甘みもある。酸味もある。
酸っぱいと言えば酸っぱいけどお酢のような酸っぱさじゃなくて謎だった。
アレコレ果物で例えるのはこれかぁと思った。
同時にどうやったら淹れられるんだろうって思った。
よくウイスキーやワイン、日本酒は飲んだのでそれに近い世界観なんだろうなって思った。
何度も通ううちに初めて浅煎りも飲ませてもらったけど粉っぽい謎の香りと酸っぱいと言えば酸っぱいけどお酢のような酸っぱさじゃなくて美味しい酸っぱさだった。
正直最初はなんとなく美味しいだった。
ハンズもここもどうやって淹れているんだ?自分で淹れるにはどうしらいいんだ?
これがきっかけで7月にプロ御用達のコーヒーミルの購入を決断した。


転機だったのはやっぱり5月、自社パートになってからだった。
やっとホテル側の人間になれたと感じたが、特になにもなくぬるっと自社パートになって仕事も態度も特に変わらなかった。
だからこそ僕にとってはもっと頑張ろうと思った。
期待に応えたかった。
だから途中からお客様のためじゃなくてみんなのために仕事をしていた。
どうやったらみんなを楽させられるだろうか。どうやったら役に立てるだろうか。
僕は一年だけ。
自社パートになったといえ責任もないし任される仕事量も社員ほどじゃないし勤務時間も守られていた。
特に家庭持ちのスタッフは仕事が終わってから始まるんだから仕事場だけでもなんとかしたかった。
このあと1年も満たない時間だけでもなんとかみんなに楽をさせたかった。
あちこち走ったし仕事も盗んだ、準備品も前日から仕込んだ。本当は良くないけど休憩時間も削った。
皆は僕の元気さ、明るさをすごいと言ってくれた。
特にフロントの現場ボスは僕のことを褒めてくれた。
そんな僕が疲れを見せたら余計な心配をかけるから精神的な支柱になれたらいいと思った。
いつ、どんな状況でも変わらない人。

そうして後輩とお別れの日が来た。
社員とも歳が近かったのであーでもないこーでもないと流行の話をしたりいじったり、いじられたり楽しく仕事ができた。
お別れ会として歳の近い者同士でカラオケに行ったり、彼女がいるから短時間だけで……と言いながら来た、束縛の激しい彼女持ちの同い年管理職もいた。
こんなこと言うと申し訳ないが一か月だけでも上司がいなかったことが僕たちが仲良くなれた理由だった。
なったことはないが大学生のような青春だった。
こんな生活してみたかったというような夢の職場環境だった。
いなくなったら静かになるなって思った。
でもとても救われた。
たった4ヶ月くらいの生活だったと思うが最後まで先輩でいれたことに感謝している。
翌日からいつもの業務に戻ったが少し静かになった。
業務も少し回らなくなった。
でもおかげで仕事に集中できた。
今までが楽しかっただけで普通の職場に戻っただけだった。
でも職場の人たちとはより仲良くなったし相変わらず山岡家にも行った。
この時にはずいぶん近場は制覇していて正直飽きていた。
目的を失った、なにをしようかなって。
休館日のように4日も休みはなくて2連休が月の中に2回あるかなないかだった。
遠出するにも少しきついよなぁとは思っていたがそれは今までの常識。
ぶっ壊してみようと思った。
それまでは函館や札幌、当別町に余市までが限界の距離だったが道東方面に狙いを定めた。
雪が降り始めて遠出が難しくなれば近場を堪能したらいい。
冬になってどうせ行けなくなってしまうのならば今のうちに行き尽くそうって。

6月、初めての道東は帯広市だった。
日勝峠を越えて十勝平野を見たときは大興奮だった。
凄まじい広さとどこまでも続く畑、誰もが想像する北海道だった。
6月なのに寒くて朝起きるのに苦労した。
インデアンカレーは抜群に美味いぞ!?と聞いて安いのに美味くて多いカレー、最初食べたときは普通のカレーだなって思ったけど帯広に行けば必ず食べた。豚丼も、うどんもそばも美味かった。
スケールのデカすぎる牧場も堪能した。まるで海外だった。
その後も続いて帯広に行ったが帯広はでかすぎて満足して旅行を終えられなかった。

旭川も二連休と一日休みで続けて行った。
岩見沢→美唄→砂川→滝川→深川→旭川。
いつまで続くんや!?この道!?
でもこれを越えたときにこんな山奥に大都市が!?と驚いた。
暑かったが乾燥しているし夕方には涼しくなって北海道はなんて過ごしやすいんだろうって思った。
なんとなくアイヌ文化に触れてみたり街中をひたすら写真を撮り回った。
広すぎて足らないくらいだ。
一日目の焼き鳥とビールは染みるくらい美味かった。
風情があるけどガランとした喫茶店やラーメン。旭山動物園は動物がイキイキ動いていて北海道は涼しいもんなぁなんて思ったりした。

岩見沢は旭川に行く途中に見つけていい感じだったから写真を撮りに来た。
二回来て二回ともめちゃくちゃ暑かった記憶がある。
冬は豪雪地帯なのに夏はこんなに暑くてすごい地域だなって思った。
地元の人が続々と集まってくる喫茶店に生素麺の店。生ソーメン?ソーメン如きって思ったけど美味しすぎた。

釧路はスパカツにザンギ。
地元が釧路の先輩に教えてもらった店に行った。
ちょっと釧路圧が強すぎてもういいよて思ったりもしたが美味しくて教えてもらってよかったなぁと思った。
また、こんな所なのに女の子のキャッチがいてちょっと笑ってしまった。
釧路は本当に涼しくてびっくりした。漁港らしさと街のミックスさが楽しかった。
二日目の朝、津波注意報が鳴った。
コンビニ店員とどっかで地震あったんだね。なんて吞気な会話をしていたらみるみるうちに警報に変わって船が沖から押し寄せてきた。
あっという間に店が閉まって街から人が消えた。
また職場の人から心配のlineが来たりなんでそんなlineを送るの?って思ったりした。
交通規制してるから早く帰るんだよとか経路を教えてくれたり。

稚内は苦行だった。
遠すぎて日本最北端の地の碑に着いた時間は16時を越えていた。
眠たかったけど夕日が綺麗だったので迷わず丘を駆け上った。
Windowsのホーム画像みたいな写真が獲れたり夕日がまん丸に落ちていく様。
8月なのに茶色のススキが揺れていたり異世界だった。
ここにきて初めて北海道に来てよかったと声に出して言った。
もしかしたら稚内に来てよかった。かもしれない。でもそれも含めて北海道に来てよかったと思った。
街中にロシア語があったり寂れた雰囲気と観光客がまばらにいる感じがとても好きだ。
アザラシに餌をやったり稚内、樺太の歴史を見に行ったり寒すぎて車に逃げ込んだり。
クタクタだったが豊富町の石油の温泉には驚いた。
灯油を直嗅ぎしているかのようだった。

積丹、ニセコ、寿都、岩内
道東ばかりじゃなくてこの辺りも行かないとなってことで。
日本海側の海は綺麗だった。
なんとなく匂いも違うし色も違った。
積丹は熊出てきたら引きずり込まれて終わりやなぁという恐怖と景色の雄大さがどんどん前へ突き進んだ。
ニセコは海外バブルとか言ってたけど夏は人が全くいなくて普通の田舎町だった。
寿都と岩内はひたすら街中スナップを楽しんでこんなとこにも景色の違う街があって広いなって思った。

また釧路に行った。
今度は釧路のラーメンに炉端、和商市場、釧路湿原に摩周湖に屈斜路湖、阿寒湖。
全て最高の天気と景色だった。つくづく運のいい男だと思った。
阿寒湖周辺の廃れた温泉リゾートという感じがすごく好きだ。
アイヌ文化に触れてみたり北海道の歴史をあちこちで感じた。

富良野、美瑛
ワインにチーズ。
何回来ても写真で見る北海道って感じだった。
よくくる海外ツアーの人たちとい同じレストランになったり。
珈琲豆を買わないといけなかったから調べて出てきた店がいつも行く北船岡珈琲焙煎所の師匠の店だった。
まさかこんな所でこんな風に繋がるとは思ってもいなかった。
適当に入ったカフェにゲストブックがあったからアレコレ書いてみたり観光地を存分に楽しんだ。
スープカレーにハマっていたからあちこち食べに行ったり。
北船岡のマスターに報告にいったらこれがきっかけでよく話すようになった。

また帯広に来た。
前回に学んで欲張らない帯広生活を送ろうと考えた。
襟裳岬の爆風に身体に疲労を溜めた状態ではあまり楽しめなかった。
ただ二日目は朝パンをして温泉に浸かってカレー食べてコーヒーを飲むという欲張らない帯広生活を送れたので非常に満足している。
帯広はどこでも雄大で何気ない景色が一番綺麗だと思う。

また釧路にやってきた。
慣れてきたから橋から夕陽を見ずに別のところで見た。個人的には朝の釧路の方が好きだ。
行きたかった居酒屋でしゃがれ声の女将さんと話した。
おすすめのザンギ屋も教えてくれたのでさっそく行ったらジューシーで一人前の後に二人前を頼んで話のネタになったり。
もうちょっといたかったが阿寒温泉に行きたかったので釧路を後にした。
道中、星が見れるかなって思ったけど運が良いのか悪いのかウルフムーンで星は吹っ飛んでいた。
目的の温泉は入れなかったので別のところにしたが貸し切り状態の日帰り入浴でこっちで良かったと心底思った。

ラストは函館。
11月。もう雪が降っていた。
前回はいけなかったハセストで焼き鳥弁当を食べて雪が降る中ひたすら街中スナップをした。
夜になっても撮り続けたけどいい加減お腹が減ったから居酒屋に入った。
韓国から来た方が長年、函館で居酒屋をしているらしく常連と話していた。
スナックみたいな居酒屋で僕も話に混ぜてもらった。
常連は会社役員らしく会社経営の話や事業の事や、子供の話、親としての話、人生の話をたくさんした。
また一番覚えているのは「もうやめたいし、辛いこともたくさんあった。でも他の同級生を見ていると可哀想に感じる。悲惨だと。辛かったけどやっていてよかった。こうじゃなきゃ今の俺じゃない。」みたいなことを言っていた。
若さは良いこと、君のようにあちこち行きたかった事、君はちゃんと将来のことを考えてすごいと褒められた。
何も否定してこなかった。俺はこうだったとかじゃなくて僕という人間を見ていた。
北海道の人はいつもこうだ。
僕の生き方に対してなにも言ってこない。

二日目は8時のオープン直後に焼き鳥弁当を食べて二回目の谷地頭温泉に入るリッチぶり。
その後はひたすらスナップしていたら「元祖小いけ」「本店小いけ」と同じ欧風カレーの店を発見した。
本店は創業者の息子が経営、元祖は弟子が引き継いだ店らしい。有名な店らしく偶然の出会いが楽しかった。
またCOCOROっていう珈琲ショップ、本当は行く気なかったけど新しい味を知るのも大切やな!ということで入ったら深煎りマンデリンは舌にまとわりつくようなとろみがあって甘くてシルキーだった。
でも、マンデリンらしい独特な土っぽさもしっかりあってこれが!マンデリン!という味。
浅煎りエチオピアも試飲させてもらったけどマーマレードのオレンジピューレの香りがしてレモングラスにジャスミン茶、冷めるとトマトジュースだった。深煎りも勉強になったし浅煎りコーヒーも散々飲んできたけど衝撃を受けたのは初めてだった。
水出しコーヒーはコーヒーゼリーというかコーヒーのシロップのようだった。
最後までひたすら街中スナップを続けて暗くなってきたがいつまで写真を撮ろうかと思った。
終わりがないなって。でもバッテリーが一つだけだったからそれがなくなるまで撮り続けた。
最後は行きつくしたラッキーピエロのバーガーではなくてオムライスを食べた。

これで遠出は終わりかぁ、函館で始まって函館で締めるなんてドラマチックやねなんて思ったが今度は近場の探求が待っていると思うとまだまだ終われないなって思った。

早速、行きたかった洋食屋さんや喫茶店、フライドチキン屋、入ったことのない店や、偶然見つけた店に入った。
行ったことのないスペシャリティコーヒーの店や焙煎所にも行った。
一日の中で朝パンをして珈琲を飲んで写真を撮らないなんて日もあった。
二連休は居酒屋に行って女将さんと話した。
僕と歳が近い息子さんがいるとのことで親目線で子どものことをどう思っているのかを聞いたり、逆に僕から見た親の話をしたり両親に会って少し話がしてみたくなった。

そんな中ヘルプで来た子から僕が帰る前にまたみんなでご飯でも食べませんか?ってlineが来た。
あの後輩も乗ってきた。

衝撃だった。

こうやってお別れ会を開いてくれるまでの存在だったとは思わなかった。
あのたった3ヶ月か4ヶ月かの話だったのに自分がそこまで大きい存在だったと思わなかった。
嬉しかった。ここで初めて自分という人間が他者から認められたように感じた。
ちゃんと築けたんだって実感があった。
結局、お互いのスケジュールが合わなかったので叶わなかったがこの誘いだけで満足している。


その後も前年と同じ神社に初詣に行ってその時に行った喫茶店でドライカレーも食べておしゃべりしたり。
弾丸で札幌に行ってひたすら写真を撮ったりした。
映画館にも行った。花火だって見に行った。ホッケーの試合をしているらしく出店で昼ご飯を食べたり、お馴染みのケーキ屋に行ったり遠出ほどの興奮はないがゆっくりとした時間が流れた。
なんか‘’住んでる‘’って感じがしてニンマリした。
でも思い出に浸ることなく最後まで新たな発見を求めていた。

いつしか同い年の管理職とは馬鹿笑いができるくらいには仲良くなった。
不備があったってのに笑いながら対応を考えて僕が謝りに行く始末。

謎のオーラを放つ物静かな女性とも冗談を話したり笑わせるのが楽しかった。
機嫌が良い時悪い時はあったが逆に空気が少しぴりっとする瞬間を楽しんだりした。
新入社員で研修に来ていた韓国の子と良いムードやなって思っていたらいつの間にか付き合っていた。
特に言うことはなかったが「かー!青春かよー!」って内心はしゃいだ。
韓国の子が来たときは僕だって嬉しかった。たくさん話したし冗談だって言いあった。馬鹿笑いもした。
僕との別れが近くなったときは二人でご飯に連れてってくれた。
職場近くの居酒屋で予約担当の子も入れて4人で呑んで夜の祭りも行った。
もっと時間が欲しかった。
ナイスカップルだと思う。
次に会う時も二人でいてほしいと思う。

すぐると呼ぶ人は「センキュ!」と「すぐる~?」と二人になった。
山岡家にもよくいったしたくさん話した。何言ってるかわからないことは多かったがなんとなくで話していた。
惰性でやっていたビンゴゲーム大会も「すぐる!センキュ!」の人がもっと弾けていいよと助言してくれたから弾けてみたら盛り上がる盛り上がる。途中からやりたくてしょうがなかった。
入院したときは心配したが迎えに行って姿を見たときは元気そうで安心した。
遠出先の話やおすすめの飯屋も温泉地もサウナは入らないがサウナもたくさん教えてくれた。
結局行き切れなかったがおかげでたくさんの良い店にいけた。
行きたいと思っている場所や僕のこれからも話した。
地元で美味いと有名な中華屋さんに一緒に行ったし、奥さんが働いてるピザ屋さんに中抜け時間に強面のニッコリ笑顔の上司といった。
また奥さんと一緒に僕のコーヒーを飲んでくれて僕が受けた衝撃と同じ衝撃をコーヒーで与えることができて嬉しかった。

上目遣いの後輩とはちゃんと後日会って当時の話と今の話、これからの話をした。
一緒に働いてる時とは違い同じ年として話すことができた。
感謝を伝えようとしたけどなんか忘れていた。

僕のコーヒーをたくさん飲んでくれる人もいた。
特に最初は僕が淹れるコーヒーが本当に美味しいのか自分以外に試したかったから半ば無理やりだった。
最初は社交辞令だと思うが一応は飲んで美味しいと言ってくれたので半ば無理やり継続してみた。
僕がコーヒーにハマっていくと同時にどんどん腕試しがしたくなってきた。
あの時飲んだ衝撃、自分で淹れたときの最高値を知ってほしかった。
浅煎りから深煎り、精製方法、産地、淹れ方。
その楽しさやおもしろさを知ってほしかった。
普通のコーヒーの時も美味しいと言ってくれた。
でも最高値を叩き出したときはその衝撃を教えてくれた。
本当に失敗した時はどうしようかと思ったが、そのどうしようもないコーヒーの味もコーヒーだから飲んでもらった。
さすがに失敗したことを伝えた上で飲んでもらったがそれも面白いねって言ってくれた。
そうやって喜んでくれるから豆を選ぶ時も顔が浮かんだ。
自分の為に淹れる時もどうやったら美味しくなるか真剣に工夫した。
時々すごい疲れた顔や話している最中に心の痛みに触れた。似ているなって思った。
コーヒーを淹れる理由は腕試しからなんとかしたいになった。
いつしか一緒に休日朝ごはんとしてパン屋に行ってコーヒーも飲んでお喋りした。
仕事終わりの一時間も満たない時間にコーヒーを飲んだりもした。
楽しかった。
魅了されたがお互いの立場、僕の生き方はどうしても現実的じゃなかった。
好きといえば好きだがそういう好きではなかった。でもとても大切な人。
だからこそ、この一年に満たない間だけでもいいからなんとかしたかった。

また僕には正式な後輩ができた。いわゆる一番弟子かもしれない。
ベトナムからきていて旦那さんと一緒に働きに来ていた。
日本語は怪しいところはあったが日に日に上手くなっていった。
また強情なところもあって教育に少し苦労したところもあったが説明したら理解してくれた。
もう一人立ちだなって思ったときは感慨深くて泣いた。
最後の方は全てを教え込みたくて、僕の仕事を引き継いでほしくて圧が強くなったけどちゃんと覚えてくれた。
ごめんって言いたいけどちょっと言えない。
でも最終出勤日に日帰り入浴の締めを教えているとき、彼女が間違えたけどすぐに「私もう一回やります」と言ったときはもう僕がいなくても大丈夫だなって思って泣いてしまった。

お部屋不備にクレーム処理、暑くてヘトヘトになりながらも扇風機を数えきれないくらい運んだ。
カメムシ大量発生で掃除機と虫よけスプレー、ガムテープを持って謝りながらも無限に湧いてくるカメムシをひたすらに駆除した。
お客様の見えないところで笑いながら駆除していた。
海外ツアーの添乗員さんと喧嘩したり仲良く喋ったり、お客様対応で添乗員さんと共謀して怒りを収めて握手したり。
季節の飾りつけに参加したり本社の人と話したり。
温泉街の祭りの設営だって行って温泉街のおっちゃんたちと仲良くなった。
強面でなに考えているかわからない香りのいい仕入れ担当と一緒に行って成り立ちや裏話も教えてくれた。
しまいには好きなパン屋さんの話で盛り上がって後日おすすめしたサンドイッチ屋さんに奥さんと行ったことを教えてくれた。
繫忙期だって最高に楽しかった。
駐車場案内にツアー到着にお迎えに走るのが楽しかった。
朝早くから夜遅くまで残業もたくさんしたし、中抜け時間以外は休む暇があまりなかったがその多忙さが気持ちよかった。
夜帰る時、街灯や月光に照らされる雪景色を見ながら仕事終わりの静けさを楽しんだ。
100人、200人と集まるビンゴゲーム大会は痺れた。
年末にはバックヤードで年越しそばを食べて色んな人と話した。
予約担当の方、調理の方、みんなそばを食べて延長しなよって言ってくれた。素晴らしい働きっぷりとも言ってくれた。
フロントやレストラン、予約以外でも僕を見ている人がいるんだなって嬉しかった。

正直人や風景を挙げだしたら全ての人、時間を覚えている。
自慢話しかしない調理のスキンヘッドや陽気な調理のおっちゃん、仕事しているのか怪しい煙たがれてる施設管理者、痛風の人、従食のご飯をいつも作ってくれるおばちゃん。
予約担当者の数々の面々、本社の人たち。
売店のお二方に、強烈な個性をもった売店派遣スタッフもいた。
白目を剝きながら話す仲居さんやエリザベス。
いつもかっちょいいブーツを履いたレストランスタッフにベトナムやタイの子。黒にゃん。
何日に○○に行ってなにをした、何を感じた、どんな人がいた、何があったかなんて書いたらキリがない。
職場の人にあそこは美味しいよ。ここは昔から人気だよ。○○行くならここはいいよ。ここは地元名物だよ。昔話とかたくさん教えてもらった。
地元の人に教えてもらうナニカが目的だったからコレコレ!とワクワクした。
実際に行って報告する。それで話が盛り上がって、僕が行った店はみんなが知らない店だったりした。
観光地のポークチャップより地元に愛されたレストランのポークチャップを食べたときは極上ぶりに驚いた。
それを言ったら地元の人が食いつく。
結局それが一番楽しかった。
美味しい店や○○に行ってきた。○○でこんな写真撮ってきた。とかそんな話。
もちろん帯広や釧路や函館に行って遊ぶことも楽しかったけど、その報告や毎日の雑談が一番楽しかった。
途中から遠出をして帰ってくる→報告してその話をするということが目的だった。

もう10月頃には北海道生活の終わりが見えていたので色んな人から延長はしないのか、続けないのか、働きっぷりの素晴らしさ、人の良さ、寂しくなる、北海道にいなよ。と言われていた。
だから仕事中でもフロントスタッフを見ていたら涙が出たしベトナムの一番弟子の成長っぷりに涙も出た。
お客様を見ていたら涙が出てきたことだってある。ホテルからの景色を見ていたら涙が出てきたこともある。
寮でスタッフの送迎をした父親が革靴を磨いているのを見て嫉妬もした。

たくさん泣いた。
それも泣かなかった月はないくらいだ。毎日泣いた期間もある。
仕事の前、仕事が終わって駐車場に向かう途中もその帰り道も、なんなら仕事中も。
遊びに行ってる最中も。
でもだんだん涙の意味が変わっていった。

最初の方は過去の傷だった。
ふと心が空っぽになって何も感じなくなる。
でも解決への道は明確に見えていたからなんとかしようとした。

わざとらしい上目遣いの後輩がきてラスト一か月は泣く日が極端に減った。
楽しかったのもある、救われたのもある。
でも辛いものは残っていた。
救われていく気持ちと辛さが同居する期間だった。
みんな僕のことは明るくて楽しくて元気だと思っている。
でもそんなことはない。
不安や悩み、解決しなければならないことが多い。時々押しつぶされそうにもなる。
誰に言えばいいんだって。
自分の感情だってわからなくなる時がある。
誰かに受け入れられているのに、どうしても自分をどこか遠い所から見ているような感覚。

決定的なものは二回目の帯広、6月20日くらいだろうか。
この時は仕事もプライベートも最高潮に楽しんでいた。
北海道の景色がイキイキとした景色になるにつれて僕の気持ちも上がっていった。
ほぼ毎日のように今幸せやな!今生きとるわ!なんて綺麗な世界なんや!と独り言を言っていた。
毎日幸せを噛み締めていた。
でもふと心が空っぽになった。
楽しくて紛らわせていただけで何も解決していないんだと気づいた。
変わってないのか、変えられないのか。
思考もなにもかも結局僕は一人なのかって泣いた。
同時に少し諦めがついた。
僕は預けることも委ねることもできない。
たぶん一人ベースで物事を考えていく。たぶんこうして生きていく。
それを遠くても見ていてくれる人が必要なんだって。
やっぱり足りないのは自分が自分を認めることではなく人に認められることなんだって。
役割でもなんでもなくこの人がいてくれて良かったって誰かに思われる実感が必要なんだと思った。

11月の釧路
阿寒温泉の帰り道、ふとラジオでアンジェラ・アキの手紙 〜拝啓 十五の君へ〜のイントロが流れていたのを思い出して、ふと久しぶりに聞いてみるかってかけてみた。
涙が止まらなかった。
二番の意味が本当の意味でやっと分かったから。
中学時代、自分が変わる必要があった。強くなる必要があった。現状を何とかする必要があった。
高3の夏、人付き合いはやっぱりだめで一人になろうとした。同時に友人関係への満足と諦めがついた。
そんな半年後、とある作品に出会った。
そこでは理不尽な人生を背負ったまま死んだ人間たちが、死後の世界で必死に抗っていた。
その姿を見て強烈にこれからの人生を考えるようになった。
就職しても全く身が入らなかった。
過去から続くものが全て繋がっていって嘆いたりした
でも諦められなかったから作品に出会ったことには感謝した。
辞めてからもあそこから全てが変わったと思ったが、あれがなければ絶対に考えることはなかった。
どうしても自分の人生を作りたかった。
中学の頃から抱えていた苦しさも、高3で一人になることを選んだことも、あの作品に出会ったことも。
それらがようやく報われた気がした。
それも些細なことの連続だった。なにがあったかなんて正直覚えていない。
きっとみんなに受け入れられて説教じみた否定もせず、そのままでいいと認められたから。
そして明るくて元気でも、そうじゃない部分の僕に気づいて気遣ってくれた。
その連続がやっと世界に存在できる、していいと思えるきっかけになった。


そんな絶頂な時間を過ごしていた。
でも僕には信念があったから延長はどうしてもできなかった。
それは初めましてから居場所といえるくらいその場に馴染んで必要とされる。その後さようならをすること。
北海道はその一回目、必ずさようならをする必要があった。

お別れの日

終わるんやなぁって感じだった。
限界が来たからやめるわけでもなく、仕事上良い区切りがあったからというわけでもなく、また卒業のようでもない。
初めから決めていた期間の中で絶頂の時に僕から、自ら手放した。
何とも言えないぬるっとしたラストだった。
もう北海道生活は終わりなのかという気持ちはあったが満足していた。
それはあのリゾバを見つけた当時の僕が最高の環境と人間関係からお別れをすることまでを目標にしたから。
たくさんの人と握手をして別れの言葉を言って、泣かれたり応援されたり、またご飯に行こうや御馳走するからねって言ってもらえたり。
こんなにも大きな存在になれたことに満足していた。
正直、10月くらいからこれからどうしようという気持ちが強かった。
リゾバを始めるきっかけになった課題は全て解決したし、会社を辞めた時のように旅行欲もそこまでなかった。
あるのは土地に住む欲。
なぜなら拠点がほしかったから。
拠点はまだ決めてなかったが北海道に住んで自分のやりたいことを始めるのも悪くなかった。
ただ色んな土地で過ごして文化や人に触れて成長したいという気持ちもあった。
ただ以前のように明確な目的があるわけではなかった。
なにを成長するんだ?
次に何を求めるんだ?
そんな感覚だった。
このまま残るのも悪くないとは思った。でも決めたことだから残る選択肢はなかった。
今書いてる僕からするとあの時の目標と達成したことは全て覚えてないし書けない。
数年かけてだんだん達成されると思っていたから次のことは考えてなかった。
その数年の中で見えてくると思っていたから。
それくらい想定外なほど全ての目標が達成された。
別にお別れをする必要なんて全くなかった。
正社員として働くのもよかったし営業マンとしてスカウトもされた。北海道の風土も居心地が良かった。
北海道にいたときは次は九州に行くだなんて言っていたがこれからなにをしていくのか明確になかったから言っていただけで別に九州に特別な思入れはなかった。
あのときのリゾバの延長でしかなかったし別にリゾバにこだわる理由といえば固定費がかからずに旅先で仕事ができるからだった。
またリゾバを続けるのであればホテル関係ではなくてやったことのない仕事がしたかった。
自分がやりたいことがあるならそれを優先したい気持ちの方がずっと強かった。
でも自分がやりたいことの理想はあってもどう始めたらその理想に近づくかなんてわからなかった。
ただ仕事をするだけなら理想とかけ離れたものになるし消費されていくだけだと。
また同時に理想の生活という観点で言えばホテルマンのような好きな仕事をして休日に写真を撮ってコーヒーを飲んだり、同僚と話したりすることでも達成できると感じていた。
実際にフェリーに乗るまでの数時間これからどうしよ!もういいんやけど!って言っていた。
はやくにリゾバで次の仕事が決まっていたらそこまで思わなかっただろうが、10月くらいからリゾバを継続する事さえ悩んでいた。
また辞めてから何を感じるのか自分自身観察していたかった。その経験が自分の宝になると信じたから。
そんなこんなでフェリーに乗り込んで北海道を後にした。
いい夢を見ている最中に意識が回復しているような感覚だった。

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